盲亀福願の明け暮れ

鯖空間が第二の家

10/14、15 クッソ長い。こんな長々と書いたの始めてだわ

10/14、10/15

さあ、何から話せばいいんだ。18日の火曜日にカウンセリングを受けに行くから、そこで話すことを整理するためにも、取り敢えずいろいろ書く。

 

10/14

15日、16日に埼玉と東京へ旅行を控えていた。その前日の話。

うちの家庭はなかなかに複雑なのだけれど、簡単に説明する。まず、両親は2回離婚し、2回結婚している。2回目の結婚の際に生まれたのが私だ。上に10歳以上歳の離れた兄がいるのだけれど、腹違いでも、種違いでも無い。しっかりと血が繋がっている。2回目の離婚のとき、私は生後6か月だった。私は母に、兄は父のところに引き取られる。3歳になるまで兄一人で、私の住んでいるところへ来てくれていたのだけれど、何があったのか思春期に入ってからは一度も来なくなった。

誕生日、バレンタイン、クリスマス。季節ごとに母と一緒に選んだプレゼントを兄に送るも、一切返事がなく音信不通になった。それでも諦めず、行事ごとに贈り物を続けていたのだけれど、ある年のバレンタインに送ったチョコが送り返されてきたのを機に、贈り物をしなくなった。そのチョコは今も冷蔵庫に入っている。チョコが腐るのかは分からないけれど、捨てるに捨てられないんだろう。私も、母も。

 

2年前、高校の修学旅行が兄と父の居る関西へ決まったとき、意を決して私の携帯から兄にメールを送った。内容は『久しぶり。私のこと覚えてるかな?修学旅行が関西に決まったんだけど、にーにに会いに行きたい』というもの。驚くことに、数十分で返信が届き、『いいよ』という文面を見た瞬間、号泣した。

しかし、コロナの時期と重なり念願の関西へ行くことは叶わなかった。『コロナが収まったら会いに行くね』と謝罪し、その代わりに日々あった出来事をLINEで送るようになった。話題を出すのは必ず私からなのだけれど(10歳以上歳の離れてるきょうだいだと、何を話せば良いのかあちらも戸惑っているのかもしれない)。まあ、それでも良かった。ただ、何が引き金になって音信不通になるのかは分からないので、一切両親の話題は出さない。そうすれば、向こうも出さない。だから、送る写真は母が映っていないか、入念に確認するし、出来るだけ生活感を感じさせない話題を振っていた。

今回、兄の居る関西へ行くより先に、東京旅行へ行くことに後ろめたさを感じ、バイト代を貯めたら来年は必ず会いに行くこと。その際に、母を連れて行っても良いか。父にも会ってみたい。というメッセージを送った(このとき、大学へ着き、1限を控えている状態)。両親の話題に一切触れないようにしていたため、メールを送った瞬間から不安が津波のように押し寄せてきた。音信不通になったら、酷いことを言われたら、……。頭がいっぱいになり、メッセージを送ったことを後悔しだす。それでも、いつかは触れなければならない話題だった。目を背けるようにしていた嫌だった過去、現在の不安を直視してしまい、人目も気にせず泣いた。内科でHPVワクチンを打ちに行く際に、心療内科の紹介状を書いて貰おうと思っていたのだけれど、「今日行かないとおかしくなる」と気づき、母に帰宅の通知を入れ、病院へ向かった。

幼いころからお世話になっている内科の先生を前にしたら、何から話せば良いのか戸惑い、「大きくなって…ズビッ(号泣中)。片親の問題を理解できるようになってから、毎日辛くて。本当はもっと早くに心療内科の紹介状を頂こうと思っていたんですけれど…。母が辞めろって言うので」とカウンセリング状態に突入して申し訳なくなった。「だいじょうぶ!亀ちゃん頑張ってるから」(先生はいつも、こう言ってくださる)と決めゼリフを聞いて、安心する。涙と鼻水でダラッダラになっている私にティッシュを何枚か取って渡す。柔らかくて、いいティッシュでした。

結果、精神科の紹介状と、眠剤を処方され、心配で迎えに来た母と共に病院を後にした。帰宅中、ポツリ、ポツリと母と言葉を交わし、小学生のころ毎日のように通っていた駄菓子屋へ寄った。「明日、東京行きの新幹線の中で食べるお菓子でも買おう!」と明るい方に持って行ってくれたので、感謝。

帰宅後は、精神科に初診だということ、内科で紹介状を頂いたことを電話で話した。「受診の内容を簡単に教えてください」と言われた瞬間、迷った。私の状態はいったいなんなんだ。取り敢えず「トラウマと、自傷行為です」と返す。初診は来月の頭に決まった。二十歳じゃないので、親同伴なのが辛い(一応すべての根源であるから)。

社会福祉を学ぶ身として、どんな言葉を投げて貰えば安心するのか。という、社会見学のノリで行こうと思う。それにしても、初診を受けるのにこんなに期間が空いたら、救われない人も出てきそう。それだけ、心がボロボロになってる人が多い証拠か。

 

ここまでで約2,000字近く。手が痛いのであとは明日に回す(記録:10/17)

 

10/15

さあ来ました。待ちに待った東京旅行当日。私の家からは駅まで40分かかるため、朝早くからバスに飛び乗った。奇跡的に席に座れてラッキー。見渡せばジジババしかいない(超高齢社会だから、地方じゃいつものことだけど)。昨日は学校をドタキャンした後に病院へ行き、帰ってからは課題をしていたので疲労が溜まりまくり(ウチの大学は課題だらけなんです)。プラス中途覚醒の不眠も重なっていたので、バスの振動でウトウトしていた。大学生赤ちゃん。

行きの新幹線の中で朝食(駅弁)を食べるつもりだったので、朝ご飯は保留。私は普段から食事をしない方だけど、朝だけは食べないとダメ。なぜかというと、血圧下がりまくりで性格が悪くなるから。駅に着いてから、歩行中に横から歩いてきたカップルとぶつかりそうになっただけでイライラモードに突入。なんでもいいから食わなきゃアカンと思い、リュックサックに常備しているミンティアを口に放り込んだ。私はミントが大好きだけど、タブレットだけはスースーしすぎて、最早痛みを感じるのであまり使用しない。けれど、最近舌の中心に固定しておけば、からさがマシになることに気が付いた。多分舌先は神経が沢山あるのかもしれない。駅弁はハラコ飯にした。

 

普段、何処かへ行くときは(学校だとしても)ぬいぐるみや、何かしらのフィギュアを持っていくのだけれど、今回は『PUI PUIモルカー』のシロモのフィギュアと、『すみっコぐらし』のやまのぬいぐるみを連れていく。最近人形離れできないのが、ブランケット症候群なのでは…?と思い始める。

数年ぶりの新幹線にテンション爆上がりで、ハラコ飯を食べた後は兄や友人に送る写真を撮りまくった。このとき、自撮りとは思えない奇跡の一枚を激写することができてスマホを持つ手が震えた。

 

東京と言っても、最初の目的は熊谷にある妻沼聖天山(寺)に行くことなので、大宮駅で降り、熊谷駅へ向かう。電車は人が少なかったので、目的地の駅に着くまで家から持ってきた『マイブロークンマリコ』を読む。この漫画、もう数周しました。映画も、受験生のころから見ようと心に決めていて先日ようやく映画館に行けた。映画化、実写化はいつも期待外れになってしまうのだけれど、この作品だけは違った。原作通りだし、それ以上。もう一回見に行きたいよ~!でもお金!!頑張って貯めたい。隣に座っていた母には「何回も同じ本見るのまったく理解できんわ」と言われた。ウッセー。

熊谷駅に到着するも、予約していた御祈祷の時間に間に合わなそうだったので、改札で「ごめんなさい。仙台から来て、今熊谷に付いたんですけど、バスの時間が間に合わないんですー!(泣)必ず、かならず!そちらへ伺いますので、もう少しだけ待っていただけませんか」とお寺の方に電話を入れる。向こうの方は「ええ、全然大丈夫ですので。ゆっくりお越しください」と言ってくださったのでホッとしたあああ。

バスでお寺まで大体25分。住宅街や田舎道が広がっていて、「結構駅から遠いとこにあるんだな…」と母と話す。近くにある高校の生徒が乗ってきたのでJKの制服姿をガン見する(キモい)。わたし制服が大大大好き人間。ちなみに高校はセーラー服だった。

まっすぐ、本当に一度も道を曲がらずに駅からまっすぐバスが進む。丁度天気が良くて、再びウトウトしだしたところで、妻沼聖天前に到着。降りたとき、バス停のデザインがオシャレで、パシャパシャ写真を撮っていたら、サイクリングをしていたおじさんに「写真撮りましょうか?」と声をかけられる。警戒心の強い母は変な人じゃないでしょうね~、と言いたげな顔をしていたけれど、私は記念にとお願いした。その時の写真凄い綺麗に撮れていてびっくり。おじさんの写真の腕と、アプリの加工機能に感謝~~。

 

私はお寺にそこまで詳しくないし、お墓参りのときに近くを通る経験をしたことくらいしかないのだけれど、美しいところだった(語彙力の無さがバレる)。社務所で一年前に御祈祷していただいたときに郵送されてきたお札と、お礼の1万円を渡す。本当はお礼をもっと入れたかったのだけれど、学生のバイトでは足りない(泣)でも、感謝の気持ちはいっぱい込めてあります。お守りも返そうと思ったけれど、辛い受験期間を一緒に乗り越えてくれた思い出がしみ込んでいるので、記念に取っておく。その代わりに新しいお守りを購入したのだけれど、購入の際に間違って『交通安全』守りを買いそうになった。社務所の方、確認してくれてありがとう…。

御祈祷の前に塗り香(塗るお香であってる?すごく良い香り)を塗ってから、御祈祷の場に上がる。お寺ってもっと質素な装飾だと思っていたのだけれど、妻沼はゴッリゴリに凝っている。まさに絢爛豪華。テンションが上がってしまっていろいろな場所を写真に収めた(後に、聖天様の厨子だけは撮ってならなかったと知る。翌日、天罰下りました)。お坊さんに「ここだけは撮ってはダメです」と注意を受けた。

 

そして御祈祷。これは、毎晩聖天様タイム(手を合わせて一日の報告をする)際に、YouTubeで流している護摩壇に近い印象を受けた。途中で、お坊さんに合わせて般若心経を唱えている最中に「生きていて良かった」「この一年がむしゃらに頑張ってきて良かった」と涙が零れる。心に響く、御祈祷でした。

終わってお坊さんと向き合い合掌をした後は、聞こうと思っていた質問に入る。これはずっと確認したかったことなのだけれど、「親族が無くなったら参拝、お札を拝むのは何日間休んだ方が良いのか」また、「ペットが死んでも同様なのか」。最後に「身内に不幸があった際はお守りを身に着けていて良いのか聞いた」(私はフーテンの寅さんのように首から常時お守りをぶら下げている)。

お坊さんの回答は「出来れば動物も人間と同様49日参拝を控えること」、「お守りは、信仰している人がどこに居るのか、聖天様への目印になるので付けていて大丈夫です」だった。最後に、希望大学に合格したことや、世間話をする(恥ずかしながら、私は8回色々な学校やら、専門学校やらを受験して、一般で第一希望に受かりました)。家族、先生、大変ご迷惑をおかけしました。

最後に記念でお坊さんと写真を撮ってもらい、キャッキャキャッキャと一人でテンションぶち上がりモードに突入したところで、「良ければ、聖天様の厨子の近くまで来ませんか?」とのお声が聞こえてきた。マ・ジ・でー!?!?なんの修行も受けていない一般ピーポーが奥まで足を入れて良いのだろうか…と一瞬ためらうものの、こんな機会そうそう無いと思い、お坊さんの後を付いていく。

 

私は零感、母は霊感アリなのだけれど、零感の人間にも分かる重い空気だった。いや、暗くて、威圧感はあるんだけれど嫌な感覚はしないという不思議な体験。ただ、一歩一歩、周囲の様子を伺いながら足を進める。あれは凄い。

(ちなみに厨子の中には、聖天様の像が入っており、一般人は数十年に一回しか見れません。修行をしていない人が見てしまうと、障りが出て最悪死にます。実際、軽い感覚で厨子を覗いた大学教授やお坊さんが亡くなられています)。いやー、怖かった。

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妻沼の装飾を堪能した後は、東京駅へ。東京駅まっったく分からん。終始芋の子洗い状態だし、案内板ばかり見ていると人とぶつかりそうでヒヤヒヤする。そんな中、なんとか駅を脱出し、駅から徒歩5分のホテルへ直行。ベルボーイの人、ほんとに紳士って感じでうへぇ…でした。じいやと呼びたくなるような方も居ました。チェックインする際に、「ヘアアイロン持ってくんの忘れた!」と気が付いた私は、取り敢えずアイロンお願いする(後に持ってこられたのが、髪を巻くタイプのクルクルアイロンだった。使ったことがないため「ストレートの…、髪を伸ばすタイプのお願いします」とフロントの女性に電話をかけたところ、在庫有ります。と言われるも、結局無くてデコを火傷しながら前髪を伸ばす練習をするのだった。前髪はヘニャッヘニャになったし、デコは痛くてなんかムカついたので(全てはヘアアイロンを忘れた自分が悪い)、部屋にあるティーパックを全て持ち帰ってやりました)。

 

化粧直しをして、荷物を整えてから東京駅前を探索。それにしても、すっごいピッカピカだな駅…。駅をバックに『PUI PUIモルカー』のシロモと共に写真撮影。暗い場所で撮っているので、いつにも増して自分の顔が壊滅的。それでも、自分が思う奇跡の一枚を撮れるまで、心行くまでシロモとのスーショットをかました。なんか携帯の容量一気に増えた。

母が「皇居見たい!」と旅行前からうるさかったので、皇居前へしゅっぱーつ。てくてく歩いていると、やけにドレスを着た女性が居る…。なんだ、プリンセスの世界に迷い込んだのか?と周りをよく見ると、結婚式の写真撮影をしている集団に囲まれていた。どこを見ても、ドレス、ドレス、ドレス。一瞬、フリーズした。しかも、これ一組じゃないのよ。何十組と。宇宙猫になりました。

せっかくのウェディングドレス汚れちゃったらもったいない…。とか、カメラマンに「ハイ!二人の世界を作ってください」と言われても、私なら観光客でゴッタゴタの場所でいい感じのムードは作れないなー…。なんて思っていた。だから、皇居前で写真撮影していた方々、リスペクトします。

 

なんか二人の世界を邪魔しちゃ悪いと思い、はじっこの池?湖?になっているところへ避難すると、一匹だけ白鳥が浮いていた。東京10月で暑いのになんでいんの?私、コイツが大っっっ嫌いなんです。

回想タイム

むかし池のある公園に遊びに行った。クッソ寒い真冬に靴下を脱いで池に足を突っ込んでいたので、恐らく知能の低かった小学生時代のこと。近くに居たおっちゃんが白鳥の群れにお米をあげていたので、好奇心で近づいてみると、おっちゃんはお米をひとつかみくれた。私は手のひらに乗せたお米を目の前にスイーっと泳いできた白鳥に差し出す。すると、勢いよく、それはもう効果音が付くんじゃないかというくらいにバクッ!!と指ごと口に入れられた。アイツら歯がない癖にもの凄く嚙む力が強い。ちなみに、次の日(1月1日。覚えてるって凄くないか?)高熱出しました。インフル。

 

という感じに、嫌ってる生き物がプカプカしていたので、すぐに撤収した。

 

東京駅へ戻り、駅内を散策する。母はお腹をギューギュー鳴らしていて、段々と機嫌が悪くなっていた(ホテル出る前に、なんか食え!といったのに!!)。ほんとうに計画性のない人です。小鴨のように母の後を付いていき、食品やお土産コーナーを眺める。明日は原宿へ行くので、友人へのお土産はそこで書いたな~、と思っていたのだけれど、面白いプリントがされているクッキー缶があったので、迷わず購入した。

ホテルの真横に大きな本屋があったので、そこに二階堂奥歯さんの『八本脚の蝶』がないか探す。すると、、ありました!!さすが大都会。仙台だと、駅前でもなかったのに。ホクホクしながら、祖母から貰ったクオカードで本を購入し、折角なので大きな本屋をぶらぶらする。そしてある一角にたどり着いて呼吸が止まりそうになった。

球体関節人形の展覧会が開催されているじゃありませんか!!しかも、SNSでずーっと気になっていた作家さんのドールが展示されている。パンフや名刺を頂き(ご本人には会えませんでしたが)、垂狐という作家さんの作品集を脊髄反射で購入した。ちなみに、夏目羽夏海さんという方のメッセージボックスに、来れて幸せですという感想を震えながら投函しました(ホテル帰宅後、人形展のことをTwitterで呟いたら、ご本人様に認知していただけてベッドの上で発狂しました)。

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母は50過ぎなので、お腹を空かせていたことと、疲れが相まって今にもぶち切れ寸前のオーラを発していた。その証拠に、「部屋の鍵がない!あんたがどっかに置いたんでしょ」(いいえ、母が管理しています)。とか、「ちょっとー!私持ってきた服がないんだけど、あんたでしょ!!探しなさい」という具合に、あたおか絶好調に突入していた。それでも我慢して言い返さなかったセルフよしよし。聖天様は全部見てるって信じたいね…。

 

ここまでで約7,000字、16日の原宿探索及び、中野ブロードウェイ探索はまた今度。

(記録:10/18~10/25)