盲亀福願の明け暮れ

鯖空間が第二の家

6/20 頭のおかしい親に育てられた、頭のおかしな子ども

6/20

思い出すのは辛いけど、いつかはカウンセリングでさらけ出さないといけないから忘れないうちに記録しておこうと思う。

この頃、大学の講義の中で虐待の内容を取り上げられると違和感を感じるようになった。なんでも幼少期の記憶が途切れ途切れの部分がある。一番思い出せないのは中学校のときで、そのころ私は本当に生きていたのかと疑うことがあった。
薬も減薬して頭が回るようになった今、本気で思い出そうと毎日過去のことを考えていた。幸か不幸か段々と記憶がハッキリとしてきて、その中に虐待らしい行為をされていたという場面があった。そこから解離が出て、学校でリスカ騒動を起こす。回避するために思い出せないようにしていたのかもしれない。

深いダムの中に沈んでいた感情が浮き上がってきた瞬間、耐え切れなくなり今の段階で思い出せる虐待体験をメモに打ち込んだ。今回それを離れて暮らしている兄に送り付け、大事になる。

 

話が長くなりそうだから箇条書きにする

①16年ぶりに兄と電話(現状説明)
②夜に母と兄が電話(16年ぶり)
③話の出来ない母に兄ブチギレ
④祖母へ交代 現時点での私の状況を兄へ説明
⑤私との会話
⑥母VS兄
⑦私との会話

電話終了後

①なぜ家庭の問題を兄へチクったのか責められる 私には強気な母
②過去にされたトラウマを告白
③母、発狂 「死にたい」と喚く
④怖いので警察へ通報 祖父母に呼ぶな!と止められる
⑤警察が来るのが恥で逃げ出す母 それを追いかける祖母
⑥警察からの事情聴取 ボイスレコーダーがあってよかった
⑦帰ってきた母に殺されないかと眠れない私
⑧母の妹(叔母)に連絡すると母は外でうろついているとの情報
⑨1時半に母帰宅 怖くて寝てるフリした

 

翌朝、母親は自分の部屋から1歩も出ず、その無言の圧が隣の部屋の私にも伝わってきた。昨日は帰ってきた母に何をされるか分からず、薬を飲めなかった。寝不足か薬不足か体がフラフラ。

今日は祖母が仲間とボウリング、祖父が透析で時間をミスれば家に母と私二人だけになるのでさっさと大学へ行くことにした。お世話になっている職員さんに昨日録音したもののデータを渡しに行く。大学も人の家のことなど興味ないだろうけど、私もいつ死ぬか分からない情緒不安定な人間なため遺書代わりに記録を残しておく。職員さんは私に珈琲を出してくださったけど、頭がいっぱいで飲むことが出来なかった。

大学でリスカ騒動を起こしてから、過覚醒が酷くて食事ができない。やっぱり私おかしくなってる。入院はしたくない。

兄に電話終了後の録音を送ると、「じじいとばばあ(祖父母)も怒っておけばよかった」「警察を呼んで偉い」と言われた。

兄も幼少期辛い体験をしただろうに。「それを乗り越えた」と話しているのは本当なのか、それとも妹の前では弱い部分を見せたくないのか。