盲亀福願の明け暮れ

鯖空間が第二の家

9/19 バイト代を母へ渡した話

9/19

先日、初のお給料が出た。夏の間中ずっとアルバイトをしていたから7万円と少し稼ぐことが出来た。高校のときより働く時間が増えた(働くことに時間をかけた?)ので、私は初めて大金を得ることが出来た。流石に一気に使おうとは思っていないので、全て貯金に回そうとしたところを母に「5万貰っていい?」と言われた。

せっかく貯めたのに、、という気持ちもあったけれど、学校や私生活のお金を負担して貰っているので渡すことにした。そのときは仕方ないなーくらいの気持ちで終わったけれど、友人のカニちゃんとバイトで貯めたお金の使い方について話していると段々とお金を渡したことにモヤっと感じてしまうようになった。

 

カニちゃんの家は働いたお金を全て自己管理、自分で好きに使うというシステムだという。反面、私の家は母に渡すことになる(高校の時もそうだった。そのころは働いた三分の二)。これはうちが母子家庭だからなのか、貧富の差、というか環境の差を目の当たりにして気分が沈んでいる。カニちゃんは奨学金を借りずに学校へ行っている。私は奨学金を高校の頃から借りている。カニちゃんは親のお金で車校へ通っている。私は「自分でお金を貯めて行け」と言われた。カニちゃんは……。考えれば考えるだけ矛盾と理不尽なことばかり出てくる。

同じ穴の狢というべきなのか、小中高とつるんでいた友人は家庭に問題を抱えていたり、母子家庭だったりする人が多かったので、両親が共に揃っていて人生で一番自由な学生の時間を不自由していない(ように見える)カニちゃんを嫉妬の目で見てしまうようになった。自分の汚さから目を逸らしたくなる。

 

こんな風に「なぜ私は」「私の周りは」と考え始めると、毎回「人生は楽しいことより辛いことのほうが多いはずなのに、なんで母は私を産んだんだろう」という疑問に行き着く。反出生主義的な考えは幼いころから持っていて、大きくなって使える語彙が増えてきた現在、母に「何で産んだの?」と聞くと、決まって「ハイ、出ました厨二病」と言われるようになってしまった。

悲しくて、悲しくて、以前よりドップリ仏教につかる様になった。成長過程で人に破壊された自分らしさを今更戻そうとしても遅い。何度か誰かに肯定して貰うことで自分を取り戻そうとしたけれど、人に台無しにされたものを人の手で治そうとしてることがおかしくなってしまって目に見えない概念的なものに縋ることになった。たまに周囲から「変な宗教にハマりそう」と説教されるけれど、人に依存するよりずっと良いと思ってる。人の心は常に変わり続けるけれど、神様は自分が描く綺麗な状態で居続ける。


f:id:mouitido_kame:20220919225458j:image

酔っ払ってモルカっちの電池を引き抜いてた。なんかもう育てる気力なくなった…。