盲亀福願の明け暮れ

鯖空間が第二の家

6/23 大学で自殺未遂した

6/23

祖父から「できるなら10日でも1週間でもいいから精神科に入院した方がいいんじゃないか」と本気で心配された。精神科は携帯も使えないし、ピアスも患者が飲み込まないよう持ち込めないから却下したけれど。

昨日、何錠か睡眠薬をピルケースに詰めて大学へ行った。服薬後の朦朧とした状態で高い所から飛び降りようという計画だった。最初薬を飲むのを躊躇して、1錠口に含んで吐き出しそうになってしまったので歯でガリガリと噛み砕いて無理くり水を流し込んだ。苦い。それでも1錠飲んでしまえば覚悟がついて、2錠、3錠と一気に口に入れる。途中、抗うつ剤も飲んだ。

その後PCや本の入った重いリュックを背負って4階まで階段を上っていく。まだ大丈夫、薬は効いていないと考える余裕があった。

できるだけ人通りの少ない端の方から下を見下ろす。落ちたとき誰かに当たったら大変なことになるから。
シラフで飛び降りる勇気はないので、薬が効いてきてボーっとするまで待っていようと思ったら、そこで記憶が途切れた。

目が覚めると寝巻に着替えた状態で、家の布団に寝ていた。窓を見ると少し日が陰ってきている。一瞬の間に何が起こったのか分からず、パニックを起こして母親の元へ行くと「いいから!落ち着いて寝て」とスポーツドリンクを渡されて二度寝した。

もう一度起きると外は完全に暗くなっていた。再度母に何が起こったのか聞きに行くが先程と同じことを言われて強制的に布団に入らされた。すでに沢山寝ている状態なので、眠ることが出来ず「なにがあったのか話聞かせて」と言うと、「分からないよ。ママが学校行ったときには救急車呼ばれてたから」と返された。救急車?なんだそれ。なにも覚えてない。

話を聞くと目、鼻、口から液体を垂れ流して意味の分からないことを口走っていたという。幸いなことに下から漏らすことは無く、保健室の先生に連れられ2回トイレへ行ったらしい。なんとなくそこは覚えてる。一緒にトイレに入ったときに後ろを向いてくださったのだけれど、私が下着を上げる際によろけて支えられていた気がする。本当に恥ずかしい。先生、救急隊員さん、職員さん、本当に申し訳ありません。

帰宅後もソファに座った私は意味不明なことを喋っていて、傍にあったカップラーメンを指さして食べたいと喚いていたという。母の作ったカップ麺を食べるが、フラフラの状態で上手く咀嚼できるはずがなく、全て麺を足の間にこぼしていたらしい。

今日はお世話になった職員さん、保健室の先生の元へ謝罪に行ったけれど、キチガイを見る目で見られた。